381.むかしの夏(2008.08.04掲載)
暑い。とにかく暑い。異常な太陽と、あり得ない局地豪雨や突風に、日本もとうとう亜熱帯かと諦観しつつぐったり。 そんな時、人は本能的に危機回避力を発揮し、「むかしの夏はこんなじゃなかった」とセンチメンタルジャーニーに旅立つのである。 1987年7月28日火曜日。東京。最高気温32.7℃。社会人2年目24歳の夏、先輩の指示で新小岩の某スーパーに直行。販売応援ということでスーツを着て行ったのだが、「にいちゃん、そんなきれいな格好でどうすんだよ。裏だよ裏っ」と店長にいきなりの叱責。実際の応援は倉庫での袋詰め作業で、夕方までじゃがいもと人参をビニール袋に詰め続けた。 午後5時、汗だくでへろへろの私に60歳前後のおっさんが声をかけてきた。「俺も応援。普段は鶏卵屋の社長やってんだけどね」と、卵を1パックくれた。ドライな東京で、ちょっとだけほのぼのさせてもらった。 1980年8月1日金曜日。松山。最高気温29.3℃。高校2年17歳の夏、地元で開催されたインターハイの開会式。炎天下のマスゲームや裸体操でくらくら。練習中は絶対に水の飲めない時代、式終了後の生ぬるい麦茶がありがたかった。 帰路、会場近くの泉に体操服のまま飛び込みクールダウン。けど、あの日は29.3℃しかなかったのか。 1970年8月26日水曜日。大阪。最高気温33.2℃。小学1年7歳の夏、家族で大阪万博へ。日射病を回避するべくアメリカ館の月の石はあきらめ、行列の少ないスイス館とかサウジアラビア館などをはしご。 当日、旅館の朝食で出た家族全員のオレンジジュースを持参の水筒に詰め、「喉が渇いたら飲もう」と言っていた母の姿が記憶にある。そんなにも倹約に徹した時代だったのか。 記憶の限界まで夏を旅してみた。当然ながら、その日の最高気温は気象庁のデータベースを引用させてもらった。今と比べて暑かったのかどうか。解剖学者の養老孟司先生が「記憶は思い出すたびに美化される」と語っているように、本当はエアコンのない暑い夏だったのかもしれない。 と、蝉しぐれも聞こえない涼しい部屋で原稿を書く今日この頃である。
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