445.めんどくさい(2009.11.16掲載)
市場調査を目的としてスーパーのレジ近くに立っていると、買い物かごの中に、ある法則が存在することに気付く。 「ベテラン主婦の買い物かごを見ても夕食メニューは想像できないが、新米主婦のかごの中からは容易に食卓がイメージできる」 ベテランは生鮮3品(肉、魚、野菜)の素材中心で、新米は「○○の素」的な加工食品や出来合い惣菜が多いということか。 自身の記憶を辿ると、母親の買い物かごにはいつも生鮮3品が詰まっていたような気がする。それはそれで懐かしいが、われわれ加工食品メーカーの存在意義は、調理の手間を代行して献立を提案することなのだから、新米主婦を応援してこその売り上げである。 つまり、料理をすることが「めんどくさい」と思ってくれる新米主婦のおかげでメシが食えるのだ。 この「めんどくさい」をキーワードに現代社会を総括しているのが、仏文学者の鹿島茂先生である。「日本企業は贅沢の提供からめんどくさいことの代行業へシフトした」「めんどくさいことを嫌う人々がいないと経済が成り立たない状況になりつつある」というのだ。 たしかに、「めんどくさいこと」の代行商品は多い。 TV通販とネットショッピングで居ながらにして物欲は満たされ、ピザ宅配とインスタント食品と冷凍食品があれば外食も不要。そして、過剰に進化した家電製品に囲まれ色欲の入る隙間もない。草食系だからではなく「めんどくさい」から女性を口説かないのだ。 とはいうものの、ここに商売のネタがあることは間違いない。鹿島先生の「贅沢には限度がある。けれど、面倒と感じることには限界がない」というコメントを頼りに、料理を「めんどくさい」と思う人たちに厨房代行商品を提供し続けるしかない。 食事自体を「めんどくさい」と思う人が出現する前に…。
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