470.旅人(2010.5.17掲載)
旅をするなら鉄道に限る。あの、日常と非日常の交錯する感じがたまらなくいい。 非日常を味わうのが旅の悦びだとすれば、そこに絶妙な日常のエッセンスが入り込むことで、より非日常感が増すのが鉄旅である。 例えば駅弁。普段お昼に食べる幕の内弁当を鉄道に持ち込めば駅弁になるわけで、この日常と非日常の混沌とした感じがいい。 つまり、飛行機や船旅には、日常の入り込む余地が少なすぎるのだ。ビジネスクラスの機内食や豪華客船のディナーは非日常全開の夢心地かもしれないが、何となく距離感がつかめず、ただ浮かれただけのような寂寥感が伴うのである。 このことを見事に表現した名文を、雑誌「THE GOLD2010年5月号」で見つけた(下記抜粋)。 飛行機は鳥の領域を、船は魚の領域に航跡を描く。 そこには非日常の世界が待っている。 鉄道は人間界を走る。人間が根を下ろした大地の上をひた走る。 ミニボトルと肴を窓際に置いたら、あとはボーッと窓の外を眺めていればよい。 草むす畦道に、家路を急ぐ小学生たち。 暮れかかる山あいに、点在する夕餉の明かり。 車窓には、出会うことのない誰かの日常が流れていく。 そして、ふと自分の日常に思いをはせた瞬間、旅人は自分が遠い非日常へとひた走っていることを知るのだ。 ああ、夜汽車で旅がしたくなった。非日常へと走りたくなった。 これと真逆の日常120%の「旅」を、エッセイストの酒井順子さんが自著「女流阿房列車」で紹介していた。それは、東京の地下鉄全線1日完乗の旅。総延長=293.1キロを、6時58分渋谷発〜23時20分代々木上原着で完遂したのだ。 景色のない日常だらけの車中はきついと思うが、「運動部のコーチから理不尽なことを言われ、それをやり遂げた時のような喜び」があったらしい。鉄子にはかなわないな。 鉄ちゃんになりきれない小生、鉄旅にこだわらず、日常と非日常を行き来する旅人を目指そうと思うのである。 ================================================================ 「女流阿房列車」情報の出典は、読売新聞9月22日朝刊です。
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