477.ドMなポジション(2010.7.5掲載)
若き日のサッカー小僧時代、少しゴールキーパーをかじった関係で、サッカーの試合を見るとどうしてもキーパーの動きに目がいってしまう。 ゴールキーパーほどドMで理不尽なポジションはない。 1回のミスも許されないプレッシャーに90分間耐え続けなければならないし、やっかいなことに、その重圧は同点より1点リードしている時の方が重い。さりとて相手が弱く、シュートが飛んでこないような状況だとキーパーは活躍の場がなく、試合後の達成感もない。 守りきる存在感と、耐え抜く悦び。ドMで理不尽でしょ。 そもそも、サッカー自体が理不尽なスポーツである。日韓W杯開催時、首都大学東京教授の宮台真司氏は読売新聞のコラムで「サッカーの本質は理不尽さだ」と説いていた。得点差は実力を反映せず、ボールを支配しても勝てないことがある理不尽さを「理不尽に満ちた民族の歴史」に重ね、韓国の盛り上がりに思いを馳せていた。 その通りである。さらに言えば、国家の歴史以前の問題として、農耕民族は敵味方入り乱れ理不尽がまかり通るスポーツが苦手である。自分のテリトリーで土を耕し、種をまき、こつこつ水やりをして実りを待つ生き様に向いているのは野球であり、サッカーではない。 そう考えると、こつこつ守って評価されるゴールキーパーは少し農耕民族向きかもしれない。雑草を抜き(シュートをかわし)、害虫を追い払い(フリーキックを防ぎ)、突然の台風に立ち向かいながら(PKをセーブして)、勝利の実りを得る。これがキーパーの真髄だとすれば、ドMというより超日本人的なポジションではないか。 多くのゴールキーパー経験者は、引退後の草サッカーでフォワードをやりたがるという。それは、シュートの快感への憧憬か、はたまたドMから解放された反動か。 今度、フォワード経験者に、そこがドSなポジションかどうかを聞いてみようと思うのである。 ================================================================ 宮台教授のコラムの出典は、2002年7月8日付読売新聞朝刊です。
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