506.源平食合戦(2011.2.7掲載)
愛媛県の伊予市に五色浜という平家ゆかりの海岸があり、毎年3月末に落人の5人の姫をお祀りするイベントが行われている。 屋島の合戦で敗れた平家の姫たちが曲折を経て伊予市にたどり着く。そこで、長女が憎し源氏の旗色と同じ白い色の蟹を探すが見つからない。一計を案じた妹が普通の蟹を白く塗るのだが、その嘘がばれて長女が発狂。果てに妹たちを殺してしまい、自身も海に身を投げるという少々強引な昔話がベースにある。 ところで、紅組白組という我が国独特の対戦スタイルにその名(旗色)を残す源平合戦であるが、実は、食合戦によって勝敗が決まったともいえるのである。 そもそも、平清盛が平安末期の保元の乱(1156)と平治の乱(1159)で勝利を収めて政権を握ったのも、食生活で優位に立っていたからなのだ。平安時代の貴族階級は食に関するタブーが多く、動物性タンパク質をほとんど摂っていなかった。だから体格も体力も貧弱で、何でも食べて活動的だった武士階級に歯が立たなかった。 それなのに、平氏は食生活で同じ轍を踏んでしまう。栄華の果てに京の都での生活そのものも貴族化してしまい、薄味で動物性タンパク質の少ない食事で体力を落としていった。 対する源頼朝(伊豆)、源義経(奥州平泉)、木曽義仲(信州)らは、質素ながらしっかりとした味付けと高タンパク質な田舎料理で地力を蓄え、各地で兵を挙げた。結果、1185年に平氏は滅び、武士の貴族化を嫌った源頼朝は幕府を鎌倉に置いたのである(1192)。 鎌倉武士の食事は玄米飯に一汁一菜と梅干し。1221年の承久の乱では東国武士に梅干し入りのおむすびが配られて好評だった。以来、庶民の間でも梅干しおむすびが定番になったらしい。 おごれる者は久しからず。食生活で歴史も変わるのである。 ================================================================ 源平食情報の出典は、おたふく2010年冬号です。
|
column menu
|