549.寿司の来歴(2011.12.12掲載)
先日、初めて訪ねた中部地方のとある繁華街で寿司屋の暖簾をくぐり、「飛び込みで寿司屋のカウンターに座る胆力」が付いた自分に感動しつつ、中トロをつまんで悦に入っていた。 いい感じで酩酊し、帰り支度をして「お愛想」と告げた瞬間、隣に座る初老の紳士から説教を食らった。 「兄さん、『お愛想』は板さんが口にする符牒で、客人は『お勘定』って言わなきゃだめですよ」 あぁ、そうなんだ。まったく知らなかった。客が使うと「こんな店愛想が尽きた」ということになってしまうらしい。青二才を諭してくれた隣人に感謝しつつ早々に宿に戻り、寿司の来歴を勉強することにした。 まず、にぎり寿司のオリジンといわれるのが琵琶湖周辺の「鮒寿司」に代表される「なれずし」。塩漬けで保存性を高め、米飯を培地として数ヶ月から数年間発酵、熟成させるため「熟れずし」となった。この場合、乳酸発酵だから酸味成分は酢酸ではなく乳酸。 そんなに長い間待てないということで、お酢で酸味を付けたのがにぎり寿司や押し寿司。ミツカンの始祖、中野又左衛門さんのおかげで江戸時代に食酢が普及し、江戸前のにぎり寿司や大阪のバッテラ(鯖の押し寿司)が庶民の食文化となった。 さらに庶民的なのが、押し寿司の米をおからに代えた愛媛の「いずみや」。おからが苦手な小生は幼時より忌避してきたが、新居浜別子銅山発祥の住友家の屋号「泉屋」に由来するという由緒正しき郷土料理だったのだ。 酸っぱいという意味の形容詞「酸し(すし)」が語源とされる寿司。カウンターに座るのは、まだまだ修行不足かと反省した酸っぱい夜なのであった。 ================================================================ お腹の調子が悪い時、鮒寿司を食べると治るそうです。
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