589.幕末肉食伝(2012.10.8掲載)
黒船が浦賀に来襲したのが1853年。その14年後に江戸幕府が崩壊するわけだが、この間、黒船や大砲の技術力とともに肉食を中心とした西洋の食文化が日本になだれ込んだ。 当時、食欲旺盛な若人だった幕末の偉人たちも肉に食らいついた。 福沢諭吉(黒船を見た時19歳)。黒船に対抗するにはオランダの砲術を学ぶべしと緒方洪庵の適塾でオランダ語を学び、その後英語も習得。勝海舟艦長の咸臨丸に乗り込み、アメリカの自由で平等な市民社会に触れた。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」は有名だが、3度の洋行で洋食に触れた諭吉は、「食に攘夷なし」という名言も残している。かなりの肉好きだった上に、パンやバター、カフェオレなどにも親しんでいた。 西郷隆盛(黒船を見た時27歳)。「敬天愛人」をモットーに、天を敬い人を愛した西郷さんは大食漢。大好物はウナギ、肉、カステラ。特に、中国から黒豚が伝えられていた鹿児島では、三枚肉や骨付きあばら肉を煮込んだ「とんこつ料理」を好んで食べた。 近藤勇(黒船を見た時20歳)。ご存知幕末のヒーロー、維新のあだ花。農民出身ながら武士よりも武士らしい近藤が幕臣に取り立てられたのは、幕府消滅の4ヶ月前。映画やテレビでも、不条理を呪うように肉鍋をむさぼるシーンをよく見かける。新選組の屯所だった西本願寺でもボタン鍋を爆食し、精進料理に慣れた門主が獣臭に辟易したといわれている。 徳川慶喜(黒船を見た時17歳)。ペリー来航時は戦争になっても鎖国を解かないと言っていた慶喜だが、30歳で将軍になった頃には海外情勢の見識も高く、大政奉還。ハイカラ趣味で肉食も大好き。江戸っ子は、「豚を召し上がる一橋様」を縮めて「豚一さま」と呼んでいたらしい。 日本を創った幕末の傑物たちは、積極的に肉を食べ、時代を変えるパワーを得ていた。 これからの日本を担うのも、間違いなく肉食男子だと思うのである。
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