609.はじめての味(2013.3.4掲載)
食に関わる仕事柄、食べたことのない料理に積極的にチャレンジするよう心がけているが、年月を重ねて経験値が高まると、はじめての味に出会って感動するという歓びがかなり薄れてしまった。 20代の頃、はじめてタイ料理のトムヤムクンを食べた時の驚きは新鮮だった。甘い、辛い、旨い、酸っぱいがパクチーの香りと共にいっぺんに押し寄せてくる、南蛮渡来の味だった。 30代の頃、はじめてカウンターで江戸前の天ぷらを食べた時の幸福感も、それまでの天ぷらの概念を覆すものだった。サクサク、しっとり、ジューシーと順を追って広がる天ぷらワールドの虜になった。 しかし、はじめての味で忘れられないのは、なんといっても給食のクリームシチューである。 小学校に入学して最初の給食でクリームシチューが出たのだが、明治生まれの祖父母と同居していた我が実家でハイカラな西洋料理が食卓に上ることはなく、あの乳臭さは許容範囲を超えたものだった。 どうしても食べられなかった。昭和40年代の給食で「お残し」が許されるはずもなく、ひとり教室の後ろでクリームシチューと格闘する羽目になった。掃除が終わって下校時間になっても、私の前にはクリームシチューがあった。 その後、どのようにして放免されたかは失念してしまったが、記憶にあるのはしょっぱい味だけだから、泣きながらシチューをすすったに違いない。 ふと、明治の元勲たちがはじめて西洋料理を食べた時の感想が気になって調べてみた。 渋沢栄一は「バターという牛の乳の凝ったものは味甚だ美なり、食後のカッフェーという豆を煎じた湯はすこぶる胸中をさわやかにす」と日記に残し、大隈重信は朝食後にコーヒーを入れた牛乳を1合飲み、正岡子規はココア入りの牛乳やハムやビスケットを楽しみ、夏目漱石はパンにバターを付けて食べていた。 さすが新政府の立役者たちは進取の気性にあふれ、乳臭さなど気にも留めなかったようである。 はじめての味に挑戦し続けるためにも、そろそろクリームシチューのトラウマから卒業せねばと心に誓う次第ある。
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