634.人間50年(2013.9.02掲載)
今年も英霊に頭を垂れ、先人の辛苦に思いを馳せた8月15日。終戦記念日の読売新聞朝刊で、当時の新聞紙面とともに代用食など戦時下の食卓が再現されていた。 家庭面の調理に関する見出しが勇ましい。 「お台所の覚悟はよいか」「節約にまい進」「食べ過ぎ法度」「うまくて家庭向き米飯ぬき国策料理」「決戦非常食」「努力があれば腹を満たして戦はできる」 まさに、「欲しがりません勝つまでは」の世界である。 1937年に日中戦争が始まり物資が徐々に不足。1940年に都市部で砂糖とマッチ、1941年には米が配給制になり、「すいとん(小麦粉の団子汁)」などの代用食が主流になった。 そして、代用食と並んで推奨されたのが「郷土食」。宮崎県の「鰹のあらと骨野菜の煮込み」や長崎県の「サツマイモと小麦粉を混ぜて蒸した石垣団子」、それを応用した「南瓜団子」等々。 要するに、米抜きで腹持ちのいい田舎料理を利用した国策であり、いまどきの浮かれたご当地グルメとは背景が違う。 終戦後も食糧難は続き、1947年には東京地裁の山口良忠判事がヤミ米を拒否し、配給食糧のみで生活して栄養失調で死亡する事件が起きた。 これらは、ほんの70年前の話である。戦争を知る世代が世の中からいなくなると再び戦争が始まるというが、飢えを知る世代がいなくなることもまた恐ろしい話なのかもしれない。 くしくも、山口判事が35歳で亡くなった1947年は、男性の平均寿命が50歳を突破した年である。平均寿命に影響する要因は、「平和」「食糧」「医療」。男性の平均寿命が79歳になった今日、判事は「平和ボケ」「飽食」「薬漬け」のニッポンを泉下でどう思っているのか。 毎年心静かに祈る節目の日に、自身50年の節目を重ねてみる。 「10歳のとき人は菓子に動かされ、20歳にして恋人に、30歳にして快楽に、40歳にして野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか」 ゲーテの言葉に煩悩を清めてもらった次第である。
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