685.洗車の流儀(2014.9.8掲載)
とある休日の朝、クルマを手洗いした直後に雨が降ってきたとしたら、多くの人は「せっかく洗車したのに」と嘆くに違いない。 しかし、これは正しい洗車の考え方ではない。逆に、「洗ってる最中に降らなくてよかった」と天に感謝すべきなのである。 つまり、過去の汚れを落とすのが洗車であり、これから雨が降るかどうかは関係ない。「明日ゴルフで汗かくから今夜はお風呂に入らない」なんて人がいないのと同じで、その日の降水確率が100%でも、今降ってなければ洗うのが流儀だと思う。 洗車をサボりたいだけの「雨待ち族」になるのは、心の弱い人間だ!なんて、このテンションですべての物事に対峙していけば、もの凄く立派な人間になれることまちがいなしなのだが…。 切り口や見方、考え方を変えると道が拓ける事例は、誰もが経験する人生の機微である。 例えば、いつも無理難題をふっかけてくる嫌味な経営コンサルタントに辟易していたある日、「自分が独立してコンサルになったらどう指導するだろう」と考えた瞬間、その嫌なコンサルがいとおしくなったこと。「経営指導って大変なんだ」。 あるいは、居酒屋で渡されたおしぼりに小さなガラス片が混入していて手を切った時、「顔をふかなくてよかった」と強運に感謝し、嫌なクレーマーにならずにすんだこと。 なんだかコップ半分の水を見て、「もう半分しかない」「まだ半分もある」という思索を問う社員研修みたいだが、似たような教訓は昔話にもあるぞ。 むかし、長男が傘屋、次男が下駄屋を営んでいるという婆さまがいて、晴れの日には「傘が売れずに長男がかわいそうだ」と嘆き、雨の日には「下駄が売れずに次男がかわいそうだ」とこぼしていた。それを見た和尚が、「晴れの日には下駄が売れ、雨の日には傘が売れると考えなさい」と諭して婆さまが立ち直ったという話。 おお、とすると冒頭の洗車の話も100年経てば教訓譚として昔話になったりするのかな。 「もうすぐ雨降るよ」と声をかけてきた洗車場の社長に笑顔を返し、バケツを手にする休日の朝なのである。
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