739.セルフコントロール(2015.10.5掲載)
わが母校の校訓は「自らを律せよ」だったが、当時はこの校訓の意味がよく理解できなかった。なぜ自ら枷をはめなければならないのか。カトリックスクールのような戒律を課せというのか。 校訓の意味がなんとなく理解できたのは、卒業を目前に控えた高校3年の冬。ある出来事がきっかけだった。 いつものように4時間目の授業を「自主休講」して裏門を乗り越えようとした瞬間、運悪く生徒指導のK先生に目撃されてしまったのだが、怒鳴られるかわりに飛んできた言葉は、「早く帰ってこいよ」。そう言われるとなんとなく後味が悪く、わずか10分の喫茶店ブレイクで再び教室に戻ってきた。 自由とは自らを律することができる者のみに与えられた特権であり、K先生は理解の悪い私に、「自らを律せよ=早く帰ってこいよ」と伝えてくれた。遅ればせながら人生の軌道修正ができた。 これぞいま流行りのセルフコントロールではないか。 思考や感情、行動をうまくコントロールできる人は、学校や職場で活躍できるだけでなく、健康的にも経済的にも優れ、周囲からの評判も良い。「己を制する者はすべてを制する」いう考え方だ。 ところが、小生が校訓の意味に気づき始めた30年前、多くの社会心理学者は自尊心を培うことで個人の能力を上げられると誤解していた。これは原因と結果が逆。優れた成績を収めると自尊心が高まるが、自尊心を高めても成績は上がらない。 セルフコントロールに関するコロンビア大学の有名な研究がある。4歳の子供たちにマシュマロを見せ、「今すぐ食べてもいいが、しばらく待てば倍もらえる」と選択肢を提示した。その後、数十年にわたって被験者を追跡調査した結果、4歳の時に誘惑を退けて倍のマシュマロを手にした子供たちは、成人してからも成功していたのだ。 とすると、「自らを律せよ」という校訓は、セルフコントロールを先取りした成功への道標ということになるのか。 まあ、現実はそう甘くない。マシュマロを我慢する選択は、蓄えたエネルギーを小出しにしてフルマラソンを走りきる行為に似ていて、自制心を酷使すると心がくたびれてしまうらしい。 たまにはマシュマロをつまみましょう、というのが母校の校訓だと解釈した次第である。
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