785.五厘(2016.9.5掲載)
オリンピックの陰に隠れがちな高校野球であるが、今年もしっかり母校の応援をさせてもらった。もちろん地区大会1回戦で。 じりじり太陽を背に、麦わら帽子を頭に、ファンタグレープを手に一塁側へ。ブラバンの金管もまぶしく、まばらなスタンドにこだまする校歌は胸を熱くさせる。北国の短い夏がそうであるように、次のない弱小チームの応援は1回戦からフルテンションで盛り上がり、にわか同窓会となるのだ。 母校は中途半端な進学校で、スポーツも中途半端。「練習も中途半端できっと楽に違いない」と勘違いして入部し、予想外のまじめな練習に苦悩する犠牲者を数多く見てきた。出口の見えない猛ノック。果てしない走り込み。昼休みのグラウンド整備。 そして、高野連が叫ぶ「高校生らしい姿」で白球に青春を込めた親友たちは当然のように修学旅行不参加。夏休み中に修学旅行に行っていた当時、「夏の大会と重なるから」という理由で球児は想い出を作らせてもらえなかった。修学旅行も行かず、坊主頭で倒れるまで走る17歳のどこが高校生らしいのか。 青春の紫、ファンタグレープを飲んで修学旅行の夜を思い出した。自由行動で六本木に出かけた田舎っぺ軍団は、なぜか八百屋の店先でファンタグレープを飲んだ。店内にあるテレビがNHK7時のニュースで早実の荒木と横浜の愛甲の活躍を伝えていた。野球部主将、三好くんの顔が浮かんだ。「六本木でへらへらしてごめんね」。 日本の夏、高校球児は修行僧となる。物欲を断ち色を断ち、全てを白球にかける。だからみんなで応援する。他の部活とは違う。さわやかだから応援するんじゃない、青春の汗に熱狂するんじゃない。国民は欲にまみれた垢を修行僧に清めてもらいたいのだ。五輪より五厘頭なんだ。 予定通り1回戦で敗退した母校は、2学期早々プレハブの臨時校舎を神聖なる内野グラウンドの上におっ建ててしまった。耐震工事を実施する校舎の代替えらしい。 「甲子園行く気あるのか」と高野連から怒りの電話がかかってきた。 「甲子園は行くものじゃなく、目指すものです」。野球部長となったかつての修行僧が「高校生らしい」回答をしてくれた。 五厘頭は長髪になっていた。
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