795.今日もコロッケ(2016.11.14掲載)
先日、旧友と飛び込みで入った恵比寿のお好み焼き屋「RYO」がよかった。 1970年に自由が丘で創業した店らしいのだが、当時の木造家屋をそのまま恵比寿駅前に再現。おしゃれな通りに忽然と現れた「昭和」に、ふらふら吸い寄せられてしまった。 小洒落た作為的アンティークフィニッシュではなく、本物の70年代に囲まれたおかげで幼時の爆笑ネタ満載の楽しい夜になった。やはり、懐かしトークには、とっておきの触媒が必要なんだ。 夕食にコロッケが出てくると、無口な祖父が饒舌になったように。 わが実家の祖父は、コロッケを肴に大正時代の話をよくしてくれた。食費が月30円だったこと、着物にゲタ履きで大学に通っていたこと、その東京電気大学で関東大震災に遭遇し、校門の下敷きになったこと等々。 なぜコロッケが大正なのかというと、大正6年に「コロッケの唄」が大流行し、日本中にコロッケが広まったから。 「今日もコロッケ〜 明日もコロッケ〜 これじゃ年がら年中コロッケ〜」 コロッケは、ホワイトソースで作るフランス料理の「クロケット」を日本風にアレンジしたもので、日本独自のジャガイモコロッケとして大正時代に庶民の味になった。同時期にカレーライスやトンカツも和食化されて全国に広まり、文明開化の洋食が純和風の食卓に溶け込んでいったのだ。 ある夜、テンションの上がった祖父が小ネタを披露してくれた。 うなぎ屋の裏手に下宿していた祖父は、蒲焼きのいい匂いをおかずに白飯を食べておかず代を倹約していたのだが、ある時、うなぎ屋の番頭さんが匂い代を請求に来た。 「学生さん、うちも商売なんだ。蒲焼きの匂い代を払ってもらわなきゃ困るね」 祖父は部屋にあるありったけの小銭を袋に詰め、番頭さんの面前に差し出した。 「ものわかりのいい学生さんだ、もらって帰るよ」 こう言って番頭さんが手を伸ばすと、祖父は小銭袋を引き離し、ジャラジャラと音を鳴らしてこう言い放った。 「番頭さん、音だけだよ」 無口な祖父に創作落語を演じさせてしまうくらい、コロッケの力は偉大なのである。
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