797.麦(2016.11.28掲載)
私の好きな詩に、石原吉郎先生の「麦」という作品がある。 いっぽんのその麦を すべて苛酷な日のための その証としなさい 植物であるまえに 炎であったから 穀物であるまえに 勇気であったから 上昇であるまえに 決意であったから そうしてなによりも 収穫であるまえに 祈りであったから 天のほかに ついに 指すものをもたぬ 無数の矢を つがえたままで ひきとめている 信じられないほどの しずかな茎を 風が耐える位置で 記憶しなさい この場合の麦は、大麦だろうか小麦だろうか。 それぞれに関連する単語を並べてみると、間違いなく大麦の方が詩的である。大麦は、麦踏み、麦茶、麦わら帽子。小麦は、パン、麺類、お菓子。 大麦と小麦はどちらもイネ科に属するが、分類上は全く別の植物である。だから、大麦アレルギーはないが小麦アレルギーはある。大麦にグルテンはないが小麦にはたっぷり。大麦の粉は「はったい粉」で小麦の粉は「小麦粉」。大麦は「barley」で小麦は「wheat」。 そもそも、大麦小麦の大小は大きい小さいではなく、大麦がメジャーで小麦がマイナーという伝来当時の設定らしい(大豆小豆の大小も同じ理由)。 そういう意味で、緑茶やウーロン茶に押されっぱなしの麦茶こそが、江戸時代から親しまれてきた国民的飲料。もっと麦茶を飲もうではないか。 麦わら帽子と蝉しぐれに囲まれた幼き夏。ゲータレードもポカリスエットもなかったサッカー部合宿の青き夏。いつの時代もその傍らには香ばしい麦茶があったのだ。 とはいうものの、おっさんには麦茶よりビールと焼酎。これも大麦。 今年の冬は、石原吉郎先生の詩と大麦の力で乗り切る予定である。
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