823.短命線(2017.6.5掲載)
先日、京浜東北線で「弁当を食べる男」を目撃した。 耳の上に赤鉛筆を乗せた初老の男性は、赤羽あたりで自作と思しき弁当を広げて食べ始めた。例によって少々のことでは驚かない東京人。車両内の空気は動かず、弁当男も表情を変えず、上野で静かにフタを閉じた。 思えば30年前、上京したてのカントリーボーイにとって京浜東北線は驚きの連続だった。「蕨−御徒町(わらび−おかちまち)」という「いちご−ごとちょう」と読んでしまいそうな定期を握りしめ、田舎では考えられない人ごみに向かった。 満員の車両にちびって次の電車を待つことの無意味さに青ざめ、ホームの端から端まで歩く間に次の電車が来る過密ダイヤにおののき、改札の駅員が操る入札の16ビート鋏に驚嘆した(改札鋏は若手には伝わらない)。 しばらくするとマナーも身に付いた。車両の扉付近に立った時は降りる人のために一度ホームに出ること。ホームで電車を待つ時は扉位置の両サイドに立つこと。エスカレーターでは左側に立ち、右側を追い越し用に空けること。 座っている人の中から降りそうな人の顔を見分け、その前に立って座席を確保する勘は身についたが、パタパタと新聞を折りたたみながら常に4分の1サイズで全ての紙面を読み尽くす技は無理だった。紙がごわごわになり、4分の5に膨張した。 こんな風にプチ社会勉強をさせてもらった京浜東北線であるが、実は不名誉なデータがある。東京の沿線別平均寿命調査で、最も短命との烙印を押されてしまったのだ。ちなみに長寿は東急東横線沿線。つまりは眩しき高級住宅街。 そして、満を持して昨年1年間だけ2度目の東京勤務に挑戦した。 なんとなく京浜東北線と同じ匂いのする都営新宿線沿線を居住地として選択した。ちょっとだけすさんだ感じが妙に心地よかった。 東急東横線は全く眼中になかった。 ポロシャツの襟とラクロスのスティックを立てた若人と同じ車両に乗る技は、京浜東北線では学べなかったのである。
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