835.球児の夏とファンタグレープ(2017.9.4掲載)
高校野球夏の甲子園大会。今年も母校の応援に出かけた。もちろん、地区予選の1回戦。 じりじり太陽を背に、麦わら帽子を頭に、そして、昔に比べて色が薄くなったファンタグレープを手に1塁側スタンドへ。コールド負けの可能性を考慮し、早めに校歌を歌う。ブラバンの金管もまぶしい。 北国の短い夏がそうであるように、次のない弱小チームの応援は1回戦からフルテンションで盛り上がる。にわか同窓会の開催もここに足を運ぶ動機となるのだ。 母校は中途半端な進学校で、スポーツも中途半端。校舎の耐震工事の際、仮設校舎を内野グラウンドの上におっ建ててしまい、「甲子園行く気あるの?」と高野連に呆れられたりもした。 もちろん行く気はある。出口の見えない猛ノック。果てしない走り込み。昼休みのグラウンド整備。日本の高校は野球部中心に回っている。 そして、高野連が叫ぶ「高校生らしい姿」で白球に青春を込めた親友たちは当然のように修学旅行不参加。夏休み中に修学旅行に行っていた当時は、「夏の大会と重なるから」という理由で球児は夏の想い出を作らせてもらえなかった。修学旅行も行かず、坊主頭で倒れるまで走る17歳のどこが高校生らしいのか。 青春の紫、ファンタグレープを飲んで修学旅行の夜を思い出した。自由行動で六本木に出かけた田舎っぺ軍団は、なぜか八百屋の店先でファンタグレープを飲んでいた。店内にあるテレビがNHK7時のニュースで早実の荒木と横浜の愛甲の活躍を伝えていた。親友の野球部主将、三好くんの顔が浮かんだ。「六本木でへらへらしてごめんね」。 日本の夏、高校球児は修行僧となる。物欲を断ち色を断ち、全てを白球にかける。だからみんなで応援する。他の部活とは違う。さわやかだから応援するんじゃない、青春の汗に熱狂するんじゃない。私らは、欲にまみれた垢を修行僧に清めてもらいたいのだ。 金属バットの音と共にファンタグレープを飲み干した。 昔の方が、はるかにおいしいと思った。
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