844.料理の流儀(2017.11.6掲載)
中学校の保健体育の授業で、武道とダンスが必修科目となって久しい。 ダンスの必要性はよくわからないが、柔道、剣道、相撲などの武道は大賛成である。スポーツを通して伝統文化を学べば知識の幅が広がるし、勝敗にかかわらず相手を尊重する姿勢は必ず人格形成につながる。 さらに、柔道の受け身は自転車やバイクで転倒した時に身を守るし、相撲の番付からは実社会の厳しさが学べる。 今から40年前の中2の冬、体育の授業は2ヶ月間相撲だった。取り組みの結果がクラス内の番付に反映され、上位に名を連ねるのが楽しみだった。けど、1日でも授業を休むと番付は下がり、またやり直し。これは口惜しかった。「さぼるな」という先生の叱責より効いた。休みたくないと思った。 ふと、「叱責とは『いかに言わないか』の技術である」という八代目桂文楽師匠の「小言の流儀」を思い出した。 「小言の種をためておき、一番小さなことで、短く、大きく叱る。叱られる弟子は、こんな小さなことも師匠に見抜かれていたと知り、言われずに済んだ大きな小言の種も改まる」 なるほど。相撲授業の番付も文楽師匠の流儀も、ポイントは「当事者の意識改革」である。追い詰めてはいけない。自らを改めるきっかけを与えるだけでいいのだ。 ということで話は飛躍するが、食の意識改革を錦旗に掲げ、家庭科の学習指導要領で小学5年生の必須科目となっている「だし取り」を出前授業している。 もちろん、家庭科の先生や栄養教諭のお手伝いという形だが、だしの効いた和食のおいしさを実感してもらい、コツコツ手間を惜しまないことの素晴らしさを伝道する。 料理の流儀は、「見えないところで手を抜かない」ことである。影の努力が実を結ぶことを経験すれば、自己啓発のきっかけが生まれるかもしれない。 なかなか手ごわいハンバーガー世代であるが、先人から刷り込まれただしへの思いは必ず呼び覚ますことができると信じているのである。
\\\\
|
column menu
|