861.群れ(2018.3.19掲載)
動物の中には「群れ」をつくる種がいる。 一見、弱い動物たちが自然界で生き残るために仲良く助け合っているように見える「群れ」だが、英国のハミルトン博士は1971年に次のように異説を唱えた。 「生物の群れは、集まってくる一匹ずつの個体が自ら利己的にふるまった結果、でき上がる」 例えば2羽の小鳥が空を飛んでいるとして、もう1羽の小鳥が新たに飛ぼうとする時、すでに飛んでいる2羽の間を飛ぶのが最も安全である。なぜなら天敵の猛禽類が真っ先に目を付けるのは外側にいる鳥だから。 さらに新たな1羽が3羽の間に入り、自然と群れができ上がる。そして、群れの真ん中にいる鳥が最も安全なポジションを確保することになる。 ハミルトン博士はこれを「セルフィッシュ・ハード(利己的な群れ)」と表現した。常に命の危険にさらされる弱い動物は群れを作り、隣人を犠牲にして生き残ろうとするしたたかな野郎なんだ。 この話を聞いて、最近見た映画「007ドクター・ノオ(1962)」のショーン・コネリーを思い出した。 一匹狼の強さを持ちながら、時に群衆に紛れ、時にボンドガールに隠れて敵に向かうジェームスボンド。昔のシリーズほど「利己的な群れ」で生き残るシーンが多かったように思う。 ショーン・コネリーだけじゃない。酒場の1人酒が似合いすぎる「カサブランカ(1942)」のハンフリー・ボガート。寝台列車で群衆に紛れた「北北西に進路を取れ(1959)」のゲーリー・クーパー。無口でむさくるしい浪人に男を感じた「椿三十郎(1962)」の三船敏郎。群れながらも孤独だった「大脱走(1963)」のスティーブ・マックイーン。家族と食卓を囲むシーンでドンの風格を漂わせた「ゴットファーザー(1972)」のマーロン・ブランド。 どの男優も群れとうまく関わった渋すぎる一匹狼。 男前という大前提が必須だとは思うが、CGも特撮もない昔の映画だからこそ、動物的な色気がスクリーンから立ち上がるのではないか。 ハミルトン博士も、映画好きに違いないと思うのである。
\\\\
|
column menu
|