864.気象観測データ活用法(2018.4.9掲載)
今からこんなに暑くてどうすんだ、という新年度のスタートである。 この調子だと今夏は猛暑間違いなし。 そんな時、人は本能的に現実逃避能力を発揮し、「むかしの夏はこんなじゃなかった」とセンチメンタルジャーニーに旅立つのである。 昭和62年7月28日火曜日。東京。最高気温32.7℃。社会人2年目24歳の夏に先輩の指示で新小岩の某スーパーに直行。販売応援ということでスーツを着て行ったのだが、「にいちゃん、そんなきれいな格好でどうすんだよ。裏だよ裏っ」と店長にいきなりの叱責。実際の応援は倉庫での袋詰め作業で、夕方までじゃがいもと人参をビニール袋に詰め続けた。 午後5時、汗だくでへろへろの私に60歳前後のおっさんが声をかけてきた。「俺も応援。普段は鶏卵屋の社長やってんだけどね」と、卵を1パックくれた。新小岩の人情も熱かった。 昭和55年8月1日金曜日。松山。最高気温29.3℃。高校2年17歳の夏に地元で開催されたインターハイの開会式。炎天下のマスゲームや裸体操でくらくら。部活中は絶対に水の飲めない時代、式典終了後の生ぬるい麦茶がありがたかった。 帰路、会場近くの池に体操服のまま飛び込みクールダウン。けど、あの日は29.3℃しかなかったのか。 昭和45年8月26日水曜日。大阪。最高気温33.2℃。小学1年6歳の夏に家族で大阪万博へ。日射病を回避するべくアメリカ館の月の石をあきらめ、行列の少ないスイス館とかサウジアラビア館などをはしご。 当日、旅館の朝食で出た家族全員のオレンジジュースを持参の水筒に詰め、「喉が渇いたら飲もう」と言っていた母の姿が記憶にある。そんなにも倹約に徹した時代だったのか。 記憶の限界まで夏を旅してみた。その日の最高気温は気象庁のデータベースから引用させてもらった。今と比べて暑かったのかどうか。 解剖学者の養老孟司先生が「記憶は思い出すたびに美化される」と語っているように、数字以上に暑い夏だったのかもしれない。 時刻表で妄想旅行、気象観測データで時間旅行なのである。
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