880.豚肉の街(2018.7.30掲載)
先日、五反田にある「日南」という料理屋でおいしい豚肉料理を食べた。 無菌豚の生ベーコンやしゃぶしゃぶ。JAかごしまが鹿児島市内で展開する黒豚専門店「華蓮」をぶっちぎる、極上の旨味だった。 豚肉といえば東京である。ランチで豚の生姜焼きが出ない定食屋はないし、肉じゃがもカレーも豚肉派が主流。そもそも東京で肉といえば豚肉のことを指し、牛肉はわざわざ「牛」と呼んで区別するのだと知人の江戸っ子が語ってくれた。 では、なぜ東京に豚肉文化が定着したのか。 諸説あるが、幕末の偉人が豚肉好きだったからという説がおもしろい。 15代将軍徳川慶喜は大の豚肉好きで、小麦粉と溶き卵を付けて焼くポークピカタなんかも食べた。また、新撰組の近藤勇局長は、屯所の生ゴミをエサに豚肉を飼い、スタミナ源としていた(その後、壬生の屯所から江戸に持ち込んだ)。 両者とも官軍じゃないところが少々気になるが、牛肉の15倍も含まれるビタミンB1の効果で、尊皇攘夷の踏ん張りが効いたのかもしれない。 もちろん、武士が多い江戸には馬も多く、農民が多い地方と違って牛を飼う余裕などなかったから飼いやすい豚が増えたという理由も捨て置けない。 武士の生活が影響を及ぼした習慣は他にもある。 左脇に差す刀がすれ違う相手とぶつからないよう往来が左側通行となり、それが世界的にマイナーな日本のクルマの左側通行となった。東京のエスカレーターで左側に立つのも同じ理由だ。 和歌山の下級武士で、1860年ごろ江戸に詰めていた酒井伴四郎の日記にこうある。 「大通りにて『ふた』を買い、また山下御内の辺りにて『うぐい』の生切身を試に一切れ買い帰り」 酒井伴四郎は、他に永代橋で「永代餅」を食べたり、京橋で「かしわ鍋」や「蛤鍋」を食べたりしている。 豚肉の街で単身赴任をエンジョイする伴四郎さんに親しみを感じる、今日この頃である。
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