895.ふつうの味(2018.11.19掲載)
以前、ビートたけし氏がこんなことを言っていた。 「30年間ふつうにサラリーマンやるのと、銀行強盗1回やるのとだったら絶対銀行強盗の方が楽だ」 なんとなくわかる。 私の父は、42年間ふつうの公務員を続けた。 その偉大さもわかる。 全ての日常は「ふつう」と「平凡」が繰り返されるありふれた生活の堆積。だから生活者は小説の世界に飛び込み、現実を離れる快感を味わう。ファンタジー小説、サスペンス小説が受けるわけだ。 では、ありふれた日常を綴った小説を読んでも、ありふれた読後感しか得られないのかというと、もちろんそれは違う。 話の鮮度や緊迫感はその内容ではなく、鮮度や緊迫感のある文章が生み出すものだ。研ぎ澄まされた文章が日常から真理を浮き上がらせ、人生の機微を伝えてくれる。生きることのせつなさを届けてくれる。 外食の世界も同じだと思う。 きらめく三つ星店は確かにすごいが、ふつうの店を営々と切り盛りすることもまた偉大。そこには腕のいい料理人のセンスと人柄と接客があり、ふつうで平凡な常連客の途切れることがない。 ふつうは最強だと思う。それは、飽きないから。 すごい味、刺激的な味、美味しい味、うなる味は飽きるが、普通の味は毎日食べても大丈夫。明日も食べたくなる味、最後に帰ってくる味なんだ。 最近、コンビニやスーパーもこのことに気付き、「美味しすぎない味」をテーマに商品設計をしはじめた。美味しすぎると毎日来てくれないから。 ただ、このさじ加減が難しい。1食完食しない試食会コンペで勝つのは、やっぱりおいしい味。どうやって普通の味でバイヤーの心をつかむか、現在研究中である。 たぶん、キーワードはおふくろの味かな、と思ったりしている。
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