897.一粒の感謝(2018.12.3掲載)
幼少の頃、「ごはんは1粒残さず食べなさい」と母親によく言われた。そして、このフレーズはたいてい「ごはんを食べてすぐ横になると牛になるよ」とセットになっていた。 日本の食卓に欠かせない母親の声とごはん粒に対する思いは、そのままお百姓さんの八十八の手間に対する感謝の気持ちにつながるのだ。 その1粒の重み。 1日に1杯ごはんを食べるとすると1年間で365杯。ごはん1杯150gなら米粒は約3200粒で年間約100万粒のお米を食べることになる。ということは、1粒のお米を粗末にした人は、その年、母親とお百姓さんに対して100百万分の1の感謝を怠ったという見方もできる。 100万分の1。これは1ppm。1ppmの感謝は重いのか軽いのか。 水で考えるなら家庭のお風呂に水一滴。距離で考えるなら1万メートル走で1センチの差。 それぞれの背景でそれぞれの物差しがあるわけだから、それを数学的に考えるのはナンセンス。1ppmだろうが10ppmだろうが1粒は1粒。目の前のごはんを残さず食べればそれでいい。 では、分析の世界ではどうだろう。目に見えない微量成分を分析するとなると機器分析値という数字に頼らざるを得ないが、これが恐い。 現在の分析機器の性能はppmどころか、ppb(10億分の1)単位の数字も出してくれる。そんなとてつもなくミクロな存在の物質も、機器の液晶に数字として出されてしまえば、それは絶対的なものになってしまう。 試料を分析機器にかけるまでの操作は生身の人間がするわけだから、その数字の重みをもう少しリアルに感じなければならないと自らも反省し、分析機器の進化に感謝。 そして、夕食のごはんの最後の一粒をかみしめつつ、学位を取得した時の恩師の言葉を思い出した。 「博士号は足の裏についた米粒。取っても食えないよ」 こちらの1粒にも感謝なのです。
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