956.身を削る(2020.2.10掲載)
江戸時代の中頃に、「黄表紙」と呼ばれる絵本が流行した。 この中に、山東京伝が書いて喜多川歌麿が挿絵をそえた「御誂染長寿小紋(おんあつらえぞめちょうじゅこもん)」という名作がある(享和2年・1802年刊行)。 内容は、命を大切にするための心構えを駄洒落と戯画でまとめた養生訓。 平均寿命が40歳前後と推測される江戸時代、長寿の秘訣に関する洒落本が民衆に受け入れられたことは想像に難くない。 この中で、酒で命を削ることを、かつお節を削る行為になぞらえていたのが興味深い。 「酒といふ奴は人の命を削る小刀なり。故に酒を飲むことをけづるといふ。鰹節の痩せるも削る故なり。楊子の細くなるも削る故なり。松板の薄くなるも削る故なり。鰹節も楊子も松板も掛替あり。人の命には掛替なし。削つただけは埋まる事なし」 削って細ってもかつお節なら買い替えればいいが、命の替わりはないと警告している。自らの身を削って「だし」という脇役に徹するかつお節に哀愁を感じ、作者自身をなぞらえたのかもしれない。 ちなみに、冷蔵庫がなかった江戸時代のかつお節は、常温でも日持ちする枯節と呼ばれる発酵食品。煮たカツオを燻しただけの荒節にかびを繁殖させた枯節は、かびの力で風味が上品になると同時に保存性も向上した。 枯節の製法が確立したのは黄表紙が流行ったのと同じ江戸中期。 かびに表面を覆われるという一見不健康な状況になりながら、偶然を製造工程に変え、腐敗を発酵に昇華させた江戸人。この心意気を教訓として洒落本に込めるなら、「枯れても腐るな」とでもいうべきか。 発酵の力で半年かけて枯れたかつお節の断面が飴色に光るように、逆境でも腐らない前向きな者のみ、人生の輝きを享受できるのだ。 削ったり枯れたり、かつお節も人生も苦労が絶えないのである。
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