973.潮味キャラメル(2020.6.8掲載)
幼少の頃、夏休みになると母の実家がある瀬戸内の小島に帰省していた。 「四阪島(しさかじま)」と呼ばれるその島は、島全体が会社だった。 明治時代に住友金属鉱山が銅の精錬を目的として拓き、700戸の社宅とともに小中学校、郵便局、病院、銭湯、劇場、生協、お寺や神社などがひしめく住友村を作り上げ、昭和30年代には4000人が暮らす町となった。 最近、トヨタが東富士に2000人規模の実証都市を作ると発表したが、四阪島を体感していたから新鮮味はない。 母と居候したのは一労働者だった祖父の社宅。5世帯が連なる長屋の一角にあり、部屋は六畳二間で台所は土間。トイレは共同だった。 不便この上ない島の暮らしだったが、コミュニティーのすべてを閉じこめた空間は、不思議なスモールワールド。キラキラ輝く朝焼けの海とともに始まるアドベンチャーな日々は、今も胸に焼き付いて離れない。 日が暮れてからはいつも祖父にくっついていた。 昔かたぎの祖父は、あぐらを組んで、キセルをふかし、日本酒をちびり。当時いつも思っていたことがある。 「大人になったらあぐらが組めるようになって、タバコが旨くなって、酒が飲めるようになるに違いない」 45年後、あぐらは組めず、タバコも吸わず、酒におぼれる私。 そんな祖父が住友生協でいつも買ってくれたのが、14粒入り30円の森永ミルクキャラメル。泳ぎに行くとキャラメル包装を解き、なぜか海水に漬けて食べさせてくれた。 「そのままだと乳臭いからな」 絶対そのままの方がおいしいと思った。 島でのほのぼの暮らしは昭和51年の工場閉鎖とともに終焉を迎える。社宅も学校も銭湯も生協も、工場があったればこそ。祖父も島を離れた。ミルクキャラメルは10粒入りで60円になっていた。 瀬戸内に咲いた経済成長のあだ花。いま、あの島を思い、12粒入り100円のミルクキャラメルをほおばる。 ちょっとだけ潮味が効いているような気がするのである。
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