「風流物語」 十一.いつものそばまき小
夜中の一時にすっぽかされ、すっかり体の芯まで冷えてしまった僕と津山くんは、とりあえずそれぞれの家に戻り、翌日の早朝から永野くんの家に押しかけることにした。 途中、国道沿いの歩道で私服警官の不審尋問を受けるというハプニングもあったが、「釣りに行くんです」というと、別に何のおとがめも無く許してくれた。夜中の一時に手ぶらで釣りに行くというのも変な話だが、とにかく助かった。ここで補導されでもしたら、窓が閉まっていたことが、洒落で済まなくなってしまうところであった。 僕は、一ノ瀬くんが開発したマニュアル通りに裏庭の塀から二階の自分の部屋に戻った。僕が窓から出入りするルートだけ、白い壁が黒ずんでしまっている。 「そろそろルート変えた方がええんかなぁ」 と独り言を呟いて、カモフラージュのために布団を盛り上げていた枕と毛布を元通りにして、冷えた体で潜り込んだ。 永野くんの家は、春日神社という藤原氏ゆかりの神社と隣り合わせである。そのため、夏祭り、秋祭り、初詣などの四季折々の音を生で感じることができる。だからといって、高校生の永野くんには何のメリットもないのだが、去年の秋祭り、宮出しの前日の夜に、僕たちがふざけてコンクリートの電柱にぶつけて折ってしまった神輿の担ぎ棒を、人のいい町内会長が徹夜で修理している音を聞いた時は、さすがに涙ぐんだと言っていた。 しかし、この春日神社も元からこの場所にあったのではなく、十数年前のバイパス工事に伴い、百メートル程離れた所から引っ越してきたのである。 本殿はそのまま来たのであるが、鳥居が鉄製になり、境内もずいぶん狭くなった。そして、ろくむしとか、ピンポン玉野球などという子供の世界でしか通用しない遊びも引っ越しと同時に消滅してしまい、神社との関わりも殆どなくなってしまった。 ただ、永野くんに年賀状を出す時には「春日神社のとなり」などとふざけた住所を書いたりして、その存在を利用させてもらっている。 「すまんっ、許して」 僕と津山くんが玄関の戸を開けると同時に、永野くんが飛び出してきてこう叫んだ。 「ふつう人を呼んどいて寝る?まぁ、寝るんはええとしても、窓の鍵開けといてくれんと話にならんやん」 「ゴメン、この通り、そばまき小とうどんまき大おごるけん」 「うー・・・。まぁええやろ」 もともと永野くんを責める気など全くなく、僕たちは、ただこの言葉を言わせたかっただけなのである。 「ほな行こか」 「そやね」 僕たちは二台の自転車で風流に向かった。 頬に刺す一月の風は、日が照っているとはいえ、かなり冷たい。もっとも、昨夜(正確に言うと今日だが)の一時の、あの風に比べると大したことはない。津山くんも、きっとそう思いながら三日前に拾った自転車をこいでいるに違いない。永野くんもその気配に気付いてか。 「結構あったかいね、今日は」 とフォローを入れる。 付き合いは長い。 僕と津山くんが初めて永野くんの家に行ったのは、小学校一年生の時である。ちょうど三月三日の雛祭りの日、風邪で学校を休んでいた永野くんに、給食で出た雛あられを届けに行ったのである。その時、「これええやろ」と言って、氷のうを吊り下げる台がないため天井から吊るしたそれを指差して笑っていたお袋さんの笑顔が、妙に印象に残っている。 あれから十二年。今度の三月三日には、ほぼ進路が決定してしまう。しかし、思い出の雛あられをいくらつまんでみたところで、推薦入試で余裕の永野くんと、入試を控えて真っ青の僕と津山くんという状況はそのままだ。 「おばちゃん来たよーっ」 「おはよう、勉強しよるかな」 「ぼちぼちよ」 「あれっ、あんたまたパーマあてたんかな」 ウメばあさんは僕の顔を見てこう言った。 「またいうて、夏休みにあててからずーっとあててなかったよ」 「そうかいな」 体育科コースを辞めるとき、体育教官中山に誠意を見せるためにスポーツ刈りにした髪がやっと伸び、正月のお年玉でパーマをあてたばかりであった。 といっても、今回は来週、受験票用の写真撮りがあるため、パーマは前の方だけにして、あとはアイパーにした。いわゆる部分パーマである。しかし、パーマ液の香りはいつも通りだ。 青春の香り。 青春の色が紫で、青春の味がファンタグレープだとしたら、青春の香りは、紛れもなくこのパーマ液の香りである。 あの、温泉卵のようなのんびりとした旅情を感じさせつつ、いつ注意されるかわからないという緊張感をはらんだスリリングな香り。僕は好きだ。 「部分パーマいうていくら?」 いつも大仏パンチの津山くんが聞いてきた。 「四千円かな。今回は黄色のロッド」 「黄色か・・・。別に前だけパンチでもええんやろ?」 「そらええけど、あんたパンチにこだわるなぁ」 「こだわるいうか・・・、あのコテで引っ張られる時の髪の付け根の痛さが妙に気持ちええんよ」 そう言われてみれば、あの頭皮の突っ張り感も何となく青春の痛みという感じで趣があり、無軌道な心につながるものがある。 「よいしょ」 ウメばあさんが丸くなった背中を更に丸くして、サンキューマッチで鉄板のバーナーに火をつけた。今日は、鉄板を暖めるところからである。五十分コース。 「パーマあてて先生に怒られんのかな」 突然、しわしわの手を鉄板にかざし、暖をとるポーズでウメばあさんが呟いた。 「三年生になったらどうでもええんよ。けどおばちゃん、あの肩まで髪伸ばした、男やら女やらわからん奴等よりはすっきりしとってええやろ」 津山くんが少し感情的になりながら答えた。 確かに、南田高校には、ラッパズボンと銀縁眼鏡が似合いそうな、長髪のうらなり野郎が多い。僕も、中学生の頃よく近所のおばさんに、 「南田高校行くんはええけど髪伸ばしたりせられんよ」と言われたものである。近所のおばさんにまで定着してしまった 「南田高校=長髪軟弱男」という認識をなんとしてでも覆したい。硬派パーマには、そんな大義名分も込められている。 「いつもの焼くんかな?」 「そうよ」 これで三人の注文が通る。 風流には全部で十五種類ほどのメニューがあるが、僕を含めて殆どのメンバーが、同じメニューしか注文しない。昔は、他のメニューに挑戦するのが恐いというのがその理由であったが、最近ではそのことよりも、他のメニューを食べるといつものやつが食べられないという気持ちが優先している。週に三、四回来るのだから、一回ぐらいいつものやつを食べなくてもよさそうなものであるが、一回でも変えたくない。それがいつもの味なのである。 「しかし、今の一年生、なんかお洒落な髪型が多なったなぁ。前髪立てたり、垂らしたり・・・。今度はああいう感じにしょうか」 津山くんが僕に向かってこう言った。 「するんはええけど、その前にパンチのけないかんよ」 「それもいややなぁ」 津山くんは考え込んだ。 「じゅっ」 ウメばあさんが、水に溶いたメリケン粉を熱くなった鉄板の上にのせた。 いつもの音がした。
|
novel menu
|