「風流物語」 十三.モガねえちゃんとそばまき小
「カチッ」 いつもより強く、投げ遣りに押さえたヘラが、そばまき小を突き抜けて鉄板に当たった。 二日連続の風流であったが、かつお粉がいわし粉に変わったことに気付かないくらい、頭に血が上っていた。 「やっぱり来てくれんかった」 僕は、突然の接待ゴルフで日曜参観に来られなかった父親を責める小学生のように、鉄板の前でふくれてみた。 それは、やはりその小学生のように、甘えることのできる状況を把握した上で甘えている訳で、そういう意味では、いつもの仲間七人は家族であり、風流の土間は、少し汚れているとはいえ居間のようなものなのかもしれない。 家庭内暴力こそ無いものの、すっかり会話の無くなってしまった自分の家と、もしかしたら、作られた絆かもしれないけれど、甘えることのできる鉄板の前のだんらん。たまたまこの両者がバランス良く存在していてくれたおかげで、極端に道を外すこともなく、無事三年間を過ごすことができたような気がする。 しかし、その仲間七人は予餞会には顔を見せず、いつもの「竹」でコーヒーをすすっていたようだし、「村田だ、ガムくれ」も不発に終わってしまった。 いくらビートたけしのオールナイトニッポンの聴取率がいいとはいえ、高々三パーセント前後である。その上、「村田英雄コーナー」を知っている生徒となると、ごく僅かな人数に違いない。 「ゴメン、これで許して」 矢中くんが徐に差し出したのは、マッチコレクター三種の神器の一つである「ただいまマッチ製作中」と書かれたマッチであった。たまたま「竹」の次に行った新規開拓の喫茶店のマッチがそれだったらしい。 ちなみに、三種の神器の残りの二つは、男女同伴でなければ入れない「ベティクロッカーズ」と「オルガン」のマッチである。しかし、この二つは手に入れようと思えば何とかなる類のものであるが、「製作中」のマッチは、タイミングが合わなければ手に入れることのできない、いわゆるマニア垂涎の的なのである。 「けど俺マッチ集めるのやめたのに・・・」 僕は、予餞会に来なかった事の重大さを十二分に認識してもらうために、少しきつい口調でこう答えた。 「いや、それがこのマッチの店なんやけど、『モガ』いうて結構いけるんよ」 「そうそう、そこのカウンターのねえちゃんが非常にええ」 永野くんと一ノ瀬くんが立て続けに色仕掛けで崩しにかかった。 「そう、俺なんかそのねえちゃんに『北陽高校の高木に似ててかっこいい』いうて言われたもんね」 犬井くんはいつも上機嫌である。 そんな仲間たちの少々臭いせりふを飲み込んでいると、もともと本気で怒っていた訳ではない僕は、いつものペースに戻ってしまい、 「それって、モガねえちゃん?」 という訳の分からない言葉で会話の中にハマってしまった。 「そばまきも食べたことやし、どう、コーヒーでも」 「うん」 永野くんのおごりで予餞会の件はどうやら帳消し。 「おばちゃん、はい二百五十円」 「ありがとう、勉強しよるかな」 「ぼちぼちね」 僕たちは、いつにない早足で風流を出た。「モガねえちゃん」という言葉は、自転車を加速させるに十分な、何かエキゾチックで甘い魔性の響きを放っていた。 意外なことに、「モガ」は僕の家の近くにあった。そこは、国道を挟んで反対側の住宅街の中であり、サラリーマンが仕事をさぼって昼寝をしていても、絶対に見つからないという佇まいの店であった。ということは、僕たちが授業をさぼって煙草を吸っていても見つからないということであり、場所としては最高の安全圏にあるといえる。 「また来たよー」 入り口の扉の上の方に付けられた来客を告げる鈴とハモるように、裏返った犬井君の声が店内に響いた。舞い上がっている。やはり 「北陽の高木」が効いたようだ。 僕はどちらかといえば「早実の荒木」の方が好きだが、「北陽の高木」もなかなか渋く、ファン層も、「荒木も好きだけどちょっとメジャーすぎて」という感じで、「松田聖子もいいけど大沢逸見が好き」というような、玄人受けするポジションにいる甲子園球児であった。 ともかく、犬井くんが「モガねえちゃん」に入れ込もうとしていることは良くわかった。 「あれっ、もしかして、みんなお好み焼き食べて来たの?ソースの匂いがする」 それは、僕が初めて耳にした「モガねえちゃん」の声であった。見た目二十四、五歳、声は二十一、二歳という感じで、どちらにしても僕たちより年上であることは間違いない。何かというと年上の女性に憧れてしまうこの年頃、勉強が手に付かないとまではいかないが、ここのコーヒーも悪くはない。 しかし、「モガねえちゃん」一人で店をやっているのか、それとも別にオーナーがいるのか、などの事情は全くわからない。というより知りたくない。 「のんびりしてええなぁ」 永野くんが、セブンスターを耳の上にのせながらこう言った。 確かに、陽の当たる窓際の席で、コーヒーを飲みながらぼーっとするのは最高の道楽である。その横に「モガねえちゃん」がいる訳だから、もはやいつもの「竹」に行く理由など何もない。 「はい、おかわり」 常連でもないのに、二杯目のコーヒーをサービスしてくれた。何なのだろう。 「ありがとう・・・」 風流に、自分の家にはない家族のだんらんを求めるとすれば、「モガ」と「モガねえちゃん」には何を求めているのだろうか。というより、「モガ」と「モガねえちゃん」が、僕たちをできるだけ現実から離れた場所に連れて行ってくれるのではないかという気がする。 風流は、絶対に現実逃避の場所ではなく、それどころか、自分の内側にある、自分さえも知らない現実を見つめる場所だと思うのだが、それとは正反対に、「モガ」に行くということは、現実離れした場所で、現実離れした「モガねえちゃん」相手に人間としての魅力を作ろうとする、いわば、「ただいまマッチ製作中」状態になることなのである。 僕たち風流軍団は、多少学校の成績は悪いかもしれないが、その辺のつまらない高校生よりは男としての魅力は十分にあると思うし、それなりの経験を積んできたという自信もある。しかし、「モガねえちゃん」から見ればまだまだ子供である。 修行の道のりは長い。 「そろそろ出よか」 一ノ瀬くんの声に、犬井くんも渋々カウンターの席を立った。 「もう帰るの?」 少し困ったような「モガねえちゃん」の顔が妙に色っぽい。 レジの横に山積みされたマッチに、「モガ」という字が見えた。
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