「風流物語」 跋にかえて
跋にかえて 倉本義仁 『風流物語』は県立南田高校生の物語である。が、舞台は大半が高校に近いお好み焼き屋「風流」である。そこに「僕」の高校に対するスタンスがあり、作者の高校時代に対するスタンスがある。飲酒・喫煙・パチンコ・怠学・種々の校則違反・・・停学、高校生活を過ごした者なら誰もが、自らは体験せずとも身近にそんな生徒を知っているはずだ。「僕」と仲間たちはそんな高校生の一典型と言ってよい。ただ、『風流物語』の高校生たちの明るさは独特である。そしてたぶんそれは「南田高校」と無縁ではない。かれらは「南田高校」が好きなのだ。停学処分をくらい坊主頭にされても、ぶんなぐられて鼻血を出しても、かれらは人権侵害だの体罰だのとごねたりしない。人権意識の低さや自意識のなさといった問題ではないのだ。「南田高校」が好きだからであり、自分を客観視できる生徒たちだからであり、自分の世界を学校のほかに持っているからである。その意味でかれらは健康であり、正しい。だから明るい。サボっていてもかれらは「南田高校」の重力圏の中にいる。しかし学校からはみ出した部分の多いかれらは、はみ出した部分でより成長する。物語は、ささやかなエピソードを重ねてたんたんと高校生活を描くが、読後にわたしらはかれらの成長を確信する。あんなふうにわたしらも高校時代を卒業したのだったか。「風流」の主人ウメばあさんとそこにたむろする「僕」と仲間たちの交歓は、一種のうらやましさとともに自分の高校時代をふっと横切るようななつかしさを与えてくれる。卒業式の日、「風流」の入り口に立ちつくす「僕」と仲間たちの姿は、ひとつの時代の終わりと始まりをみごとに形象化してうつくしい。そして、土居幹治氏が松山南高校を卒業して十年を経て、こんなふうに自らの高校時代を対象化した意図もわかる気がする。good old days (なつかしく美しき日々よ)ではない。ウメばあさんのメッセージにこたえて走り続けた十年の次の十年を氏がどのように歩み始めたのか、研究生活のかたわら今後も創作活動を続けて読ませてもらいたいと願う。氏が九州大学から博士号を授与されたというニュースを毎日新聞で読んだ日、松山南高校の卒業アルバムをひっぱりだして、見た。リーゼント風のヘアスタイルだった。「いち」君は坊主頭だった。 (平成七年六月、元「松山南高校」・現「松山西高校」教諭)
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