「風流物語」 二.無期停学とそばまき小
その日は前日の夜更かしがたたって寝坊してしまい、学校の正門までやって来た時には、すでに時計は八時三十分を指していた。 どこの高校でもそうなのだが、我が南田高校でも、朝、遅刻して来る生徒を注意するためにいつも正門の所に二、三人生徒指導の先生が立っている。立っているだけならいいのだが、たまに殴られたりするもんだからたちが悪い。 この間も、家が近すぎて許可されていないのに自転車に乗って校門をくぐったところ、許可シールがないことを指摘され、先生に追いかけられたことがあった。自転車の方が速いと思って逃げたのだが、たまたまその先生が、順天堂大卒の四百メートル日本記録保持者だったもんだから、あっという間に捕まってしまい、ぶん殴られてしまった。 その先生が今日も立っていた。今日はいっそのこと休もうかと思った。 ふと、ビートたけしが高校生の時、停学になった話を思い出した。たけしも、毎朝校門の所に立つ先生には頭を悩ませていたようで、悪友と相談し、前日の夜に校庭の隅の部室の裏の塀に穴をあけ、そこから学校に入ろうとしたそうだ。結局それが見つかって、停学になってしまったということなのだが、僕は既に停学を二回食らっており、そんな危険な橋は渡れないと思った。 あれこれ思案した結果、風流に行くことにした。風流は南田高校から歩いて五分くらいの所にある。 「おばちゃんおはよう」 「おはよう、学校は」 「うん、しんどいけん二時間目から出る。休ませて」 「はいはい」 ウメばあさんはそう言うと、いそいそとメリケン粉入れの蓋を開け、粉を取り出した。そのメリケン粉を篩にかけて水に溶いている。紛れもなくお好み焼きを作っている。僕は朝御飯を食べてきたところで、とてもお好み焼きなど食べられない。聞こうかとも思ったが、いくら何でも「休ませて」が「そばまき小」に聞こえる筈がない。誰か他の人の注文だろうと思いながら、僕は表紙の破れた三年前の週刊大衆を読み始めた。 三十分経った。 「焼けたよ」 どきっとして鉄板の方を見ると、ウメばあさんがにこにこしながら、山本山の海苔の缶の上蓋に穴を開けた手製の機械で、ソースのたっぷりかかったお好み焼きの上に、かつお粉と青のり粉をかけていた。 「これ食べたら学校いくんぞな」 「う、うん」 朝御飯を食べてからまだ一時間も経っていないのに食べられる筈がない。そう思いながらも、ウメばあさんの顔を見ていると頼んでないとも言えず、結局食べることにした。 そばまき小のせいで、二時間目も休んでしまった。 ウメばあさんの遠くなった耳のせいで朝からそばまき小を食べさされ、三時間目から授業に出た僕は、その日の昼休みにある実験をしてみた。 高校生にとっては非常に高価な洋もく「ラーク」の中身をそっくり「わかば」にかえて、学校のトイレで田岡くんと矢中くんに勧めてみたのだ。 「ラークが手に入ったで」 「うわーほんとや、一本おくれ」 「ふぅーっ」 「やっぱりラークはうまいなぁ」 「ほんとに」 すっかり騙されてわかばを吸っている二人を見ながら、「煙草の味知っとんのか」と思ったが、僕だって喫煙のキャリアはまだまだ浅く、逆の立場だったら騙されていたかもしれない。結局、気の毒になって、二人には本当のことは言わなかった。 僕たちの年頃は、ただ喫茶店で煙草を吸っていればそれだけで幸せを感じてしまうのである。それは、たぶん卒業してみないとわからないが、高校生だからだと思う。高校生だから臭いトイレで吸うのが楽しく、高校生だから正露丸をつぶしながら(におい消し)、部室で吸うのが楽しいのだと思う。 煙草だけではない、酒だってそうだ。運動会や文化祭のあとの打ち上げは、たいていの場合飲み会になるが、金の無い高校生は、いつだってレッドかニッカで、たまに金がある時でもホワイトである。 もちろん、定番はコークハイ。ジンジャーなどという洒落た代物は買い方を知らないし、ましてや一本八百円のレッドやニッカを水割りで飲める筈がない。しかし、まずいといったって酒の味を知らない高校生。とりあえず横綱あられとおにぎりせんべいを肴に、あっという間にレッドを空にしてしまう。 そして、酒がなくなった時、必ず買い出しに行かされるのがおっさん顔の田岡くんである。店の人にばれないように、思いっきりおっさんの服を着て、腰に手ぬぐいなんかぶら下げたりしてカモフラージュするのだが、恰好の割に肌のつやがよく、妙に気持ち悪い。まぁ、どう見たって店の人には高校生ということが一目瞭然だと思うのだが、僕たちにとっては真剣なことなのだ。 結局、酒にしても煙草にしても、大人になれば何の感動もないであろう一つ一つの行為に最高の喜びを見いだせるというのは、まさに高校生の特権のように思う。 風流ではどうか。 僕たち風流の常連高校生は、風流では絶対に煙草を吸わない。別に、煙草を吸うとウメばあさんに怒られるという訳ではないのだが、なぜかウメばあさんの前では煙草を吸えない。 煙草だけではない。学校に対して、親に対して猛烈に反抗する第三次反抗期の僕たちが、ウメばあさんの前ではなぜか良い子になってしまう。なぜなのだろうか。ウメばあさんは勉強しろと言わないからだろうか。いや違う。僕たちは、そんな現実逃避の場所として風流を利用しているのではない。ではなぜ・・・。 こんなことを考えながら、風流の常連高校生の顔を一人一人思い出してみた。 パーマをかける度に坊主にされ、散髪代が人より余計にかかる津山くん。 授業中に二日酔いを指摘され、「飲んでません」と言いながらゲロを吐いてしまい、飲酒がばれた矢中くん。 「俺はサッカー好きやけん、サッカーで死ねたらモットーや」と、訳の分からないことを言う、日本語が苦手なサッカー部主将の犬井くん。 パンチパーマをかけに行ったのにニグロにされてしまい、すごく恐い顔になった田岡くん。 校則の厳しい西田高校に行ったばっかりに、かわいいお弁当袋を持っていただけで先生に殴られ鼓膜が破れた一ノ瀬くん。 顔と体がごつく、夏休みに行った甲子園球場でダフ屋に間違えられ、刑事に囲まれた三上くん。 夏休みにカトリック系の学校に掃除のバイトに行き、間違ってモップの柄でマリア様の顔を叩いてしまい、思いっきりシスターにぶん殴られた永野くん。 みんないい奴ばかりだ。 僕は・・・というと、一ヶ月前に停学になってしまい、やっと角刈りができるまで髪が伸びたというところで、毎日のカロヤンハイの効果は全くなかったようである。 しかし、よく「坊主頭にすると髪の毛のことが気にならず、勉強に集中できる」とか言う奴がいるが、あれは全く逆だ。坊主頭が気になって何も手に付かない。 手に付かない理由としてもう一つ気になることがある。それは、僕の友人で、坊主頭にした途端、髪が天然パーマになったという奴が三人もいるということである。恐らく坊主という刺激による突然変異だと思うのだが、いくらパーマ代がいらないとはいえ、やはり真っ直ぐな方がいい。まあ結局、停学になったのが悪いのだから自業自得である。 ところで、停学の基準というのは学校によって異なっているが、学校内でも一定のラインというものはなく、事件を起こした生徒の人間性や前歴などが考慮され、停学の妥当性が審議される。最終決定を下すのは、殆どの場合学校長である。 我が南田高校では原則として停学は全て無期停学の形を取り、生徒の反省度合いにより、その都度期限が設けられる。もっとも、殆どの場合その期間は一週間である。しかし、一週間の間、毎日行動記録と反省文を書くのは非常に辛いことだ。担任、学年主任、生徒課主任、そして教頭、校長と回覧されるためいい加減な事は書けない。 そして、毎日担任の先生が様子を見に来るのだが、これが厄介なことにいつやって来るかわからない。だから一日中外に出られないのである。これは、遊び盛りの僕たちにとってかなり不自由な生活である。 もちろん、僕が停学になったことはウメばあさんには言わなかった。津山くんが停学になった時も、永野くんが停学になった時もウメばあさんには黙っていた。しかし、今考えると、ウメばあさんは全て知っていたのではないかという気がする。そういう事件があった後、坊主頭でお好み焼きを食べに行くと、ヘラでお好み焼きをパンパンと叩くウメばあさんの手に、妙に力が入っていたような気がする。そして、普段はあまり口にしない、 「大学は行かないかんよ」 という言葉も飛び出してきたりして・・・。 先生のお説教よりも、ずっとずっと重いウメばあさんの言葉。にこにこしながら言うもんだから余計に胸にしみるのである。
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