「風流物語」 五.鉄棒とそばまき小
津山くんの粋な計らいに胸を熱くしながら、僕は更衣室へと向かった。運動会の開会式まであと三十分。中庭に設置された臨時の売店までが、否応なしに緊張感を高めてくれる。 スポーツバッグの中には、この日のためにクラス全員で揃えたラコステのピンクの靴下に、我が青春の三本線、アディダスのオフィシャルシューズ。新調した短パンのポケットに、E.YAZAWAの書き込みも眩しい。そして、鉢巻きは、半分に折ってアイロンで押さえつけた細目のアイビースタイル。上から下まで何の節操もないこの恰好であるが、これらの小道具も、テンションを上げるのに一役買っている。 こうまでして気合いを入れてみたところで、しかし、運動会には盛り上がるネタがない。勉強以外の遊びを知らない東山高校生は、夏休みにバイトして貯めた金を全部運動会につぎ込み、一ブロックで百万円程の金をかけるという話を聞いたことがある(我が南田高校は、学校支給の十五万円のみであるが)。 そこまでして入れ込むものでもないと思うのだが、勘違いする奴が多いのも東山高校の特徴である。 僕の場合、運動会の楽しみといえば、敵味方一丸となって嫌われ者の理数科クラスに蹴りを入れる騎馬戦とか、終わった後のアーチを燃やしながらのフォークダンスとか・・・。今回は特に、ウメばあさんに勇姿を見せる綱引き合戦もその中に入るのだが、殆ど本編に関係のない種目ばかりである。 「楽しみがあるだけええよ」 二、三日前に西田高校の一ノ瀬くんが言った言葉を思い出した。軍隊教育で有名な西田高校のメイン種目は、 「日体大エッサッサ体操」である。校則で銀縁眼鏡が禁止されているため、波平のような黒縁眼鏡をかけている一ノ瀬くんが上半身裸でエッサッサ体操をしている姿を想像すると、思わず吹き出しそうになったが、必死でそれを堪えながら、僕は更衣室の戸を開けた。 「ええもんがみえるーっ」 僕の姿を見るなり、上半身だけ体操服に着替えた津山くんがこう叫んだ。更衣室は、異様な熱気に包まれている。 「この換気扇のとこから見えるんよ」 廊下を隔てた卓球場で着替えをしている女子が、卓球場の換気扇を通して、更衣室の換気扇から見えるというのだ。 「ほやけど、こっちの換気扇は、回すんと回さんのとどっちがバレにくいんやろか。どう思う?」 そんなこと僕に聞かれても困る。どうやら、泰平魂のビールの件などすっかり忘れてしまっているようである。 「とりあえず回しとったらええんやないの」 無責任にこう答えた僕は、ロッカーにバッグを投げ入れ、急いで服を着替えた。 (運動会の楽しみが一つ増えた) こう思いながら換気扇の前の列に加わったその時、 「バキバキッ」 鈍い音がした。 「痛ーっ」 興奮して換気扇に顔を近づけ過ぎ、鼻をチップしたらしい。犠牲者は矢中くんであった。鼻が赤く腫れ、血が滲んでいる。 「自業自得や」 更衣室は、割れんばかりの大爆笑。久しぶりに笑わせてもらった。 それから二、三日して、卓球場から見てばれるのかどうかを現場検証してみたのだが、何と更衣室側の換気扇が回っていると、覗いている人間の顔がはっきりとばれてしまうということがわかった。止まっている時の方がわかりにくいのだ。 無責任な発言をした僕に、責任を取れと言わんばかりに迫ってくる矢中くんの鼻は、その時、まだ赤く腫れていた。 午前の部が終わって、僕は風流へ向かった。 昼休みに風流に集合するということは、開会式の時、小さく前へならえをしながらメンバー全員に伝えてある。 「おばちゃん、そばまき小三枚と、うどんまき小二枚ね」 「はいはい」 常連高校生が全員が揃えば八人だが、風流の鉄板では一度に五枚までしか焼けない。後の三人は十一時頃学校を抜け出し、既にお好み焼きを平らげていた。 「今日は運動会やけん、力が出るようにハム入れてあげる」 「ありがとう・・・」 ウメばあさんの心遣いは嬉しいのだが、はっきり言って、お好み焼きにハムは合わない。しかし、ハムを食べると力が出るというのも、何となく微笑ましい話である。 「なぁいち、綱引きで紅組に勝つええ考えがあるんやって?」 坊主頭の津山くんがこう切り出した。彼はかなりきつめのパンチパーマをかけるため、すぐに先生に怒られて坊主頭にされてしまう。そして二センチ程に髪が伸びると、コテでがんがんに引っ張ってまた強烈なパンチパーマをかける。この繰り返しである。そのため、津山くんは 「大仏か坊主か」という少し長いニックネームで呼ばれているのだ。 「そうよ、その打ち合わせでここに集まったのに」 GSという流行りのバイクに乗って見物に来た西田高校の一ノ瀬くんが身を乗り出した。 「ほな、言うよ」 全員の視線がいちに集中した。 ウメばあさんは耳が遠く、普通の声で話せば聞かれる心配はない。 「俺ら白組は鉄棒のある方に陣取って綱引くやろ」 「うんうん」 「あの綱、長いけん鉄棒の所まで届くんよ」 「それで?」 「その綱の一番後ろを鉄棒に結び付けるんよ。これやったら、赤組がどんなに引っ張っても綱はびくともせん。そやけん、初めは俺ら力抜いといて、赤組がへばったところでパワー全開にするんよ。これで絶対勝つ」 「ブラボー」 矢中くんが感極まって、涙ぐみながら叫んだ。 確かに、いちにしてはなかなかのアイディアである。いちの発言で、一気にボルテージが上がった。 「これしかない。決まりじゃ」 普段冷静な田岡くんの舞い上がった声と共に、僕たちは風流を出た。もはや、ウメばあさんに勇姿を見せるとか見せないとか、そういう問題ではなくなっていた。とにかく、この作戦を実行したい。その一心で、グラウンドに向かった・・・。 ・・・そして夕方四時。運動会終了後のグラウンド。 恒例のアーチを燃やしてのキャンプファイヤーやフォークダンス等、全てのアトラクションが中止となった。 「白組全員正座ーっ」 グラウンドでの正座は本当に辛い。立ち上がっても、十分位はそのまま落ちないのではないかと思うくらい、膝に小石が食い込む。こんなことなら、先週の石拾いを真面目にしておけばよかった。 体育教官中山の勝ち誇ったような顔が、逆行の西日に浮かんでいた。スーツにジョギングシューズという体育教官おきまりの間抜けなスタイルが、今日はやけに偉そうに見える。 いつまで正座させられるのだろうか。処分はあるのだろうか。もしかして、新聞に載ったりして・・・。 「生徒のいたずらで鉄棒が抜けた!あわや大惨事」 やっぱり、いちのアイディアはろくなもんじゃない。
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