「風流物語」 六.よしおさんのそばまき小
運動会の綱引きの件で、すっかり行きづらくなってしまった風流であるが、 (もしかしたらウメばあさん、見に来てなかったかもしれない) というかすかな期待を胸に、僕は津山くんを誘って二週間ぶりに暖簾をくぐった。 「ウメばあさんは?」 「昨日から調子悪うて寝込んどる」 土間と唯一の居間とを仕切るガラス戸から顔を覗かせた、独身のプー太郎息子よしおさんが眠たそうな顔で答えた。 「大丈夫かいな」 「まぁ、寝とったらすぐに治るやろ。さっきも桃太郎侍見る言うて張り切っとったし。わしが焼こか?」 最も恐れていた言葉が、いきなり飛び出してきてしまった。 よしおさんが焼くと、ウメばあさんが焼くのより確実に五ミリは薄くなる。その上、一ヶ月程前によしおさんに焼いてもらった時、そばに混ざって輪ゴムが入っていたという前科がある。二週間振りでなければ遠慮するところだが、どうしても食べたくて、「本物は誰だ」で、偽物がフェイントで立ち上がる時のようなぎこちなさを残しながら、僕たちは定位置に座った。 「うどんまき大とそばまき小ね」 ウメばあさんなら、黙っていても津山くんがうどんまき大で、僕がそばまき小なのだが、よしおさんの場合、黙っていると一番簡単な 「素焼き」にされてしまう。 メリケン粉を水に溶くよしおさんの足下に目を遣ると、よれよれの、一番外側の葉が半分以上褐色に色づいたキャベツが、市場の香りを残したバナナの段ボール箱に横たわっていた。 その葉脈に沿って、軽快なステップを踏む例の「ご」で始まる黒い物体。エキサイティングな場面であるが、風流の常連五年目ともなると、これが微笑ましく見えてしまうから不思議だ。それどころか、 「これこそが風流の隠し味かも!」 などと、とんでもない推測まで飛び出す始末。ザウアークラウトじゃないんだから、お好み焼きのキャベツは新鮮な方がいい。 「これが一番面倒くさい」 こう言いながら、よしおさんはキャベツの一番外側の葉もザク切りにした。 よしおさんは、南田高校を卒業してから三年程市役所に勤めていたそうであるが、何となく働くのがいやになり、やめてしまったらしい。それ以来ずっとお好み焼きを焼いたり、パチンコをしたりの毎日である。それだけに、お好み焼きの腕はそこそこのものを持っているのだが、とにかく薄いのがタマニキズである。 「よしおさん、結婚せんの?」 週刊誌を読み終わった津山くんが、飛び道具を出した。 「ばあさんほっとけんやろ」 体裁のいいことを言っているが、僕たちが見る限り、よしおさんがウメばあさんのことを考えているとは思えない。 この間も、店の売上金を取った取らないでもめていた。しかし、ウメばあさんの「秀男にもろたこずかいもうないんかな」という殺し文句は凄かった。秀男さんは、よしおさんの五つ上の兄で京大医学部の教授であるが、秀男さんの話が出ると、よしおさんはすっかり縮んでしまう。 しかし、鉄板を挟んだ向こう側で、八十四歳と四十五歳の親子喧嘩が見えるというのも、欽ちゃんにアットホーム賞を貰えそうな風流ならではの佇まいである。 手際の悪いよしおさんが焼くと、焼き上がるのも遅い。しびれを切らした津山くんは冷蔵庫からセブンアップを取り出し、テレビのスイッチを入れた。 僕たちは、セブンアップを飲みながらテレビを見る予定であったが、風流の白黒テレビは、スイッチを入れてから画面が出るまで三分は優にかかってしまう。真っ黒な画面のままで、セブンアップは終わってしまった。そして、オロナミンCを牛乳で割った時のようなその虚脱感は、その後、現れてきたニュースの画面によって頂点に達した。 「一億円、大貫さんの手に!」 まったく、ジョギング姿で一億円の小切手を受け取る大貫さんの姿は、なめているとしか言いようがない。せめて、政府推薦の半袖省エネスーツにして欲しかった。 「ええなぁ、一億円」 案の定、お好み焼きを焼く手を休めて、よしおさんが呟いた。プー太郎を始めて二十五年。楽して儲けることしか考えてないよしおさんにとって、大貫さんは憧れの的である。 「よしおさん、仕事せんの?」 津山くんが、また飛び道具を出した。 「ばあさんが寝込んだ時、焼く人間がおらんやろ」 しかし、ばあさんが寝込んだ時のことを考えてプー太郎をしているというのも、ふざけた理由である。 「できたよ」 やっぱり薄い。 特に今回は、うどんまき大がそばまき小と同じ大きさというおまけ付きである。 「よしおさん、これうどんまき小じゃない」 「うどんまき大やがな」 「薄いなぁ」 「・・・」 「よしおさん、せこいことしよったら結婚できんよ」 「・・・」 得意の黙秘権である。まぁ、最初から判っていたことだから腹を立ててみたところで始まらない。僕は、青のり粉とかつお粉のかかったそばまき小の上に更にソースをかけ、ヘラでざっくりと切り目を入れた。 風流のお好み焼きと他の店のお好み焼きは、ヘラで切り目を入れたときの断面が違う。 普通の店のそばまきは、そばが入り乱れて軟らかく重なっていて、ヘラで切った時うまく切れなかったそばが飛び出してきたりする。ひどい所だとそれがきっかけで形がぐじゃぐじゃになり、そばまきだか焼きそばだかわからなくなってしまうのだ。 そこへもってきて風流のそばまきは、鬼のようにヘラで叩きながら焼くため、そばがびっしりと詰まり最後まで形が崩れない。そして、その断面は、「リカちゃんの美容室セット」とか何とか言う、人形の頭部に開いた穴から粘土がにゅーっと出てきて髪の毛の代わりをする、例のあのオモチャを想像させるほど整然とそばが並んでいる。 薄いとはいえ、よしおさんのそばまきもこの伝統を受け継いでいて、やっぱりうまい。 「はふーっ、うまいなぁ、うどんまき最高!」 うどんまき派の津山くんが熱さを堪え、はふはふ言いながら食べている。津山くんはそばまきを食べたことがないと言っていたが、僕もうどんまきを食べたことがない。 「しかし、いつかそばまきも食べてみないかんなぁ」 これが食べ終わった時の津山くんの口癖であるが、実行したことは一度もない。 「よしおさんのうどんまきもいけるやん」 津山くんは、ご満悦でコップの水を飲み干した。お好み焼きを食べた後の満足感は、何物にも代え難い。 実は今日、風流に来る迄の道中津山くんから、 「俺、先週の模試で四百九十人中四百九十五番やったんやけど何でやろ」 という相談を受けていたのだが、お互いお好み焼きを食べると、そんな事どうでもよくなってしまった。 ウメばあさんと、よしおさんと、うどんまき大と、そばまき小が、「何とかなるやろ」という無言のアドバイスをしてくれたような、そんな気がする。 親にも、兄弟にも、友達にも、リポDにもできないファイト一発のぬくもり。それが、風流の鉄板のぬくもりなのかもしれない。
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