「甘い夜なら」 第二章
南には、どうも男がいるらしかった。もちろん、健治にはそれを咎める資格もなく、その気もなかった。むしろ、結婚しているという自分と同じ立場に南が近づくことで、今まで以上に大人の付き合いができるような気がした。 「もちろん南を束縛する気はない」 「私も束縛されたくない・・・」 しかし、元来、嫉妬深い健治にとって、それは少しつらいことであった。 悲しみは闇の中から聞こえたる 「友達よ」と言ひをりし君の声 そのことに気付いて以来、健治は、南の部屋に電話をかけることが恐くなった。今までなら、いつでも健治の電話を待ってくれていた南であったが、その部屋に男がいるとなると話は違ってくる。 しかし、南の声が聞きたい。 「木曜日の七時に電話する」 「どうして、電話する時間を決めるの?」 「どうしてって言われても・・・」 ためらひと切なき想ひと悦びは 聞きたいだけの声のまにまに 「今からどう?」 「ちょっと・・・」 いきなり電話した自分が悪いのはわかっている。もしかしたら一人でいるかもしれない、などという期待は抱くものではないと健治は思った。 踏み込まなければ傷つくこともなく、知らない方がいいことにも気付かないままの日々を過ごせたはず。 「鶴の恩返しみたいだ・・・」 一度その扉を開けてしまった男は、もう同じ場所には戻れないというのか。 知らぬまま気づかぬままの明日なら あの日の夢は夜のしじまに 「もし私が結婚してたら・・・」 「結婚してたら?」 「健治が電話してくれても必ず彼がいることになるし、彼は必ず私の部屋から出勤するのよ」 「うん、その通り、そうなんだよね」 これくらいのことで腹を立てていたのでは、俺たちの関係は続かない。励ましとも取れる南の言葉が胸に染みた。 もちろん、そのくらいのことは俺にもわかる。 「わかるけど・・・」 まだまだ道のりは長い。 わかることわかろうとすること多けれど 足らざるものは器なりけり 自分のペースで遊んでいるはずの健治であったが、知らず知らずのうちにその男を意識するようになり、その意識の高まりに比例して、南と会う回数が増えた。 真剣さを競うがゆえに、本当の健治の姿を見失っていた。 「最近なんだか冷たいね」 「健治はそんな人じゃない」 「えっ?」 「遊んでるあなたが好き」と君の言ふ 我は一途に輝きはなく 『健治はそんな人じゃない』という南の言葉が健治の胸をえぐった。 「そんな人じゃないって言われても、そんな人だよ、俺は」 「そうじゃなくって・・・。だから会い過ぎるのはよくないのよ」 『それは違う』と言いかけて、健治は言葉を飲んだ。 南にとっての理想の健治というものが、もし存在するとするなら、その姿を守ることも、ひとつの優しさではないのか。その結果、また二人が盛り上がるのであれば、会う回数を減らすことは、決してネガティブなことではない。 どの道を行けども問ふはただひとつ 輝いているか健治と南 健治はその夜、南を喫茶店に誘った。 いつもなら居酒屋でジョッキを傾け、ワンショットでシーバスに乾杯するはずの週末の夜であったが、その日、健治は一人で寝ることに決めていた。 想いのままに体を動かしていたのでは、保てる距離を見失なってしまう。とはいえ、目の前の時間をごみ箱に捨てるような行為は、今までの健治の生き方を否定するものでもあった。 「マスターおかわり」 「私も・・・」 独り寝の夜の窓から見た星と あのライン館のコーヒー二杯 「健治かっこいい」 「ありがとう」 健治は久し振りに聞くこの言葉をずっと待っていた。 「昔はよく言ってくれたのに・・」 「会い過ぎるとネ、ありがたみがなくなるの」 南は健治のことを、自分とは住む世界の違う人間と考えていたが、健治は、南と同じ空間を共有できなければ、いくら尊敬してくれていても自分の心が満たされることはないと思っていた。しかし、それならそれで、答えは別のところにあるはず。 「かっこいい」「そんなことないよ」 と交わす日が我の恋路の道標かな
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