「われに五月を」
寺山修司著 ハルキ文庫 定価520円 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ 虐げられし少年の詩を 日あたりて貧しきドアでこつこつと 復活祭の卵を打つは 二十歳の天才にこれらの歌を作らせたのは時代か、青春か、それとも祖国か。いずれにしても昭和三十年代のパワーが背景にあったことは間違いなく、そのフォースに触れたくて、寺山修司展を覗いてみた(青森の寺山修司記念館まで行くフォースはなかった)。 すごい。寺山修司はすごい。昭和五十八年に四十七歳で夭折するまでの生き様は、「マルチ」などという陳腐な言葉では形容できない。 横尾忠則氏らと劇団「天井桟敷」を設立し、「あしたのジョー」の力石徹の葬儀をし(TV主題歌を作詞)、競馬評論家、映画監督、歌人、俳人、詩人までこなす。 そしてそれらのオリジンは時代でも青春でも祖国でもなく、ふるさとの母であった。 なぜか天才にはマザコンが多い。 亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く 恐山には風吹くばかり ころがりしカンカン帽を追うごとく ふるさとの道駈けて帰らん そして、五月を愛した修司は五月の詩を本書の冒頭に配した。 きらめく季節に たれがあの帆を歌ったか つかのまの僕に 過ぎてゆく時よ 夏休みよ さようなら 僕の少年よ さようなら ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし 雲雀の血の滲んだそれらの歳月たち … 二十歳 僕は五月に誕生した 僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる いまこそ時 僕は僕の季節の入口で はにかみながら鳥たちへ 手をあげてみる 二十歳 僕は五月に誕生した 天才のみずみずしさに触れ、天才になるのに時間は不要であることを思い知らされた一書であった。
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