「海峡の光」
辻 仁成著 新潮文庫 定価362円 本書は平成九年の芥川賞受賞作。えっ、あの純文学の最高峰を?エコーズのボーカルが?…確かに読み始めるまではロッカー辻仁成の作品という目で見てしまっていた。十五年前の名曲「ZOO」を口ずさんでみたりして。 ところが、である。一ページ目からいきなり辻ワールドに吸い込まれてしまった。うーん、これこそが純文学。初期の大江健三郎作品(「飼育」「死者の奢り」など)を連想させつつも、文章はさらに詩的で美しい。読むほどにその文体が胸深く染み込んでくる。「ZOO〜」などと鼻歌交じりに本書を手にしたミーハー君は、一人の天才のフォースに打ちのめされてしまうのである。 例えば冒頭の刑務所の描写。 「陸に上がった後も海のことがいつまでも忘れられない。函館湾と津軽海峡とに挟まれたこの砂州の街では、潮の匂いが届かない場所などなかった。少年刑務所の厳重に隔離された世界も例外ではなく、海峡からの風が、四方に屹立する煉瓦塀を越えてはいともたやすく吹き込み、懐かしいが未だ癒えない海の記憶を呼び覚まさせる」 例えば子供の頃に父親と出かけた海の、金色の波の記憶。 「まるで海は一つの生命体のように、光を食べて呼吸している愛しい動物のようだった」 雪の描写はこうなる。 「深々と降りしきる雪はこのまま春まで、あらゆる汚れをその純白の底に隠しつづけることになる」 さらりと、美しく伝わってくる真実の描写。つまりリアリティ。才能だな、これは。 廃航間近い青函連絡船の客室係を辞め、函館で刑務所看守の職に就いた主人公「私」の前に、少年時代「私」を陰湿な方法でいじめの標的にした優等生の「花井」が受刑者となって現れる。優等生の仮面をかぶって残酷に私を苦しめた花井は、立場が逆転した刑務所内でも仮面優等生として私を苦しめる。 光と闇、敵意と好意、優越感と劣等感、友情と同情。錯綜するメタファーは一体どちらの登場人物に帰属するものなのか。 かつての受刑者が、街で「私」にこう語るシーンがある。 「俺らは暫くお務めしたらあそこから出られるけどもさ、おやっさんたちは大変ですよね。一生あそこから出られないんすからねぇ」 受刑者が「闇」だとは言い切れない。 純文学が苦手な方もきっとハマる辻仁成の本。「白仏」なんかもオススメですよ。 ちなみに本書は愛媛県内某進学高校の夏休み課題図書になってました。
|
review menu
|